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INTERVIEW

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技術革新が進む歯科技工、これまでの経験を生かし新たな挑戦も
技術革新が進む歯科技工、これまでの経験を生かし新たな挑戦も
TUHなヒトビト 2021.11.08

技術革新が進む歯科技工、これまでの経験を生かし新たな挑戦も

診療技術部 歯科技術部門 主任歯科技工士|佐々木聡

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歯科技工士を目指すきっかけは?

家族が技工業務を専門に扱う歯科技工所を営んでいて、自然な形でした。小さい時から技工所で遊んだりしていて、家族や親戚も技工士だったので中学生の時には将来は歯科技工士になろう、と意識していましたね。
東北大学歯学部附属歯科技工士学校に進学して国家資格を取得しました。東北大学病院(当時、歯学部附属病院)の技工室で1年間研修して、その後、実家の技工所で2年ほど勤めました。当時、病院の歯科技工士の定員が空いたということで、声をかけていただいて働くことになりました。

東北大学病院に来られていかがですか?

実家の技工所ではクラウンブリッジという差し歯の仕事がメインでした。病院ではクラウンブリッジだけではなく、デンチャーという入れ歯全般、審美歯科や矯正など、様々な技工業務を行っていて、多くの技術を身につけなければいけなくて、大変でした。
さらに、2003年には医学部附属病院と歯学部附属病院が統合して、医科の治療についても関わることが増えました。事故や病気などで失った皮膚の一部をシリコンで再現したりもしています。口腔内だけでなく皮膚まで歯科技工士が扱うのは全国でも珍しいほうです。無色透明のシリコンから着色し皮膚の感じやシワまで再現するのはなかなか難しくて、試行錯誤しています。

シリコンで作成した技工物(耳、指、歯肉)

現在はどんなお仕事をされていますか?

東北大学病院の歯科技工士はどんな業務でもオールマイティにできるように指導されているので、なんでもやります。午前中に診察に来た患者さん用の技工物を午後に仕上げることもあります。遠方から来る患者さんも多いですし、矯正(保定装置)などはなるべく早くつけた方がいいので迅速に対応しています。
また最近は、周術期口腔健康管理部ができ、口に入れて使う挿管用の機材のためのプロテクター作成が増えてきました。高精度の機械が歯に当たって壊れてしまうことがあり、歯を保護するマウスピースのようなものをつくっています。

やはりみなさん手先が器用なんですか?

私は昔からなにかつくるのが好きでした。プラモデルやラジコンのキッドを一から組み立てたりしていましたね。歯科技工士がみなそうかというとわかりませんが、普通の方より器用だと思います。
たとえば、差し歯や入れ歯を隣の歯と合わせる時は12ミクロン(髪の毛が80-150ミクロン)という薄い紙を使って調整します。きつかったり、緩かったりすると隣の歯が浮いてしまったり、ちょっとでも動いてしまうと歯並びが微妙に変わって頭が痛くなってしまったりすることもあるのでとても繊細な作業です。

石膏の型に合わせながらの細かい作業

これから取り組んでいきたいことはありますか?

業界全体で歯科技工士のなり手がどんどん減っていて、業務の効率化が求められています。仙台市は全国の中でも歯科技工士の養成学校が多い地域なのですが、ずっと定員割れをしていて、10年の間で技工士の数がガクッと減ると予想されています。そこでデジタル化が推進されていて、東北大学病院でもスキャナー、3?プリンターやデジタル編集ソフトを導入しています。
これまで、患者さんの口腔模型に合わせて自分の手で技工物をつくっていた作業をパソコン上でやることになるので、作業の仕方がガラリと変わるんです。
また、歯に被せる材料も今までは金属が中心ですが、今の人たちは歯と同じ色の物を好むので、扱う素材もどんどん変わっています。なので、これまでの経験で培ってきた技工技術をデジタルでも生かしていきたいですね。

パソコン上で3Dソフトを使った作業の様子

プライベートで趣味などはありますか?

スキーをやっています。クラブチームに所属していて、指導員とスキーパトロールという雪山で怪我などをした人を運ぶ資格を持っています。オフシーズンは、道具のメンテナンスやスキー協会から毎年出ている課題の勉強などをしています。涼しくなったら、体力づくりのためにジョギングや筋トレをはじめてシーズン本番に備えます。コロナの影響でなかなか活動できていないので、早く落ち着いてほしいですね。

家族とスキーの様子

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佐々木 聡(ささき さとし)

宮城県出身。東北大学歯学部附属歯科技工士学校(2021年閉校)卒業、東北大学病院技工室で研修後、実家の技工所に勤務。1998年、東北大学病院入職。

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